努力に逃げてはいけない

努力できる人が天才というなら、そこら中に天才はいるはずだ。結構みんな頑張ってる。

だけど、実際のところそうじゃない。
自分にも、過去を振り返ってみて、「あの時、俺は努力することを言い訳に、もっと大事なことから逃げていたのではないか」と思う部分がある。

思考停止して、単純作業に打ち込むことは、慣れてしまえばそんなに難しいことではない。

スポーツを例にするとわかりやすいが、例えば野球では「とにかく走り込みをしよう」という伝統のようなものがあって、何をすればいいかわからない時にはとにかくただ走る。無心に走る。「走禅」などと言う都合のいい言葉を考えた人もいて、それが実績のある人だったりするのだけど、それで何も考えずに成果を出せると言うのはやはり間違いだと思う。

全ては因果関係だ。何らかのアクションがあり、その結果が出る。

野球の例で言えば、走ると言うのは単なる手段に過ぎなくて、実際には(ピッチャーであれば)投げることが改善されるような取り組みでなければならない。
そのために何が必要かなんて、その人や季節や体調にもよるし、絶対的な正解などない。

だから、その時その時を大事にしながら、一番効果があることを適切に選ぶ、と言うことこそが一番重要なことだったのだ。

筋力が足りない人ならウエイトトレーニングをするだけでプレーに余裕が出て、結果として技術も向上するだろうし、筋力は十分あるなら、技術的な改善の方が優先されるかもしれない。そう言うことを臨機応変に取捨選択する能力こそが重要であり、「本物の正しい努力」なのだと思う。

努力は必要だが、努力っぽいものに逃避することはあまりにも簡単だ。

「考える」ということもすごく似ている。

考えてるっぽいんだけど、実はぐるぐると同じロジックを回ってるだけだったり、ロジックの肝心なところが抜け落ちててわけわかんなかったりということはよくあるはず。
あと、自分が欲しい結論のためにロジックっぽいものを発明するとか。

そうじゃなく、シンプルに、ただ考えるというのは、思ったより難しい。ともすれば「考えてるっぽいこと」に逃げ出してしまう。どうでもいい本読んでその気になるとかね。

それを確認するために一番簡単なのは、やっぱり白紙に向き合ってみることだと思う。何にもないまっさらな状態で、自分が何を書けるか。それで本当に考えてるかどうかは結構浮き彫りになる。
実際に書かなくても、ちょっと行動を止めてみる。じーっと止まって、ただ自分の頭の中がどうなってるかを観察する。そうすると、まあ本当にわけわかんないことばっかりぐるぐる回ってんなというのがわかる。
シンプルに無駄なことを考えないというのが一番、精神力を必要とするのかもな。