疑問をストックしておくことの重要性

知的生産活動とは何なのかということを改めて考えてみたい。

ざっと思い浮かぶ範囲での具体例は、「文章や論文を書くこと」「企業の戦略を考えること」「複雑なシステムを設計すること」などである。

これらに共通しているのは、何か解決するべき(あるいは解決したい)テーマや課題がすでにあり、それに対して必要な材料(知識や論理、裏付けなど)を集め、全体の筋が通るように組み立てる問いう流れである。

さらにざっくりと言えば、「問いを見つける」「解決の材料を集める」「まとめる(あるいは、組み立てる)」というサイクルの繰り返しこそが知的生産活動の本質だと思う。

このプロセスはある意味、企業活動や生命活動と共通している。企業は資金を投資して利益を得ることの繰り返しによって会社を維持・拡大していくことが根本的な性質である、生命活動において最も優先されるのは、持っている能力を利用して必要な栄養分を手に入れ、維持していくことである。
もし十分な利益を得ることができなければ、あるいは生物が必要な栄養素を得ることができなければ、そのまま死に向かうことになる。

そして、前述の「知的生産サイクル」にこの原則を当てはめれば、問いを見つけることができなければ(ストックしている問いの数が枯渇すれば)、その人の知的生産は停止する。解決するべき問いがないから、考えることもない。

つまり、もし人が何かを考えることで人生を楽しみたいのであれば、常に疑問をストックしておくことが、何よりも大事なのではないかと思うのである。

疑問を持つ能力は人によってとても大きな隔たりがあるし、他のあらゆる能力と同様、疑問を持つことをやめれば、どんどん落ちていってしまうだろう。別に疑問を持たなくても現代を生きていくことはまあある程度可能だからだ。このことがいわゆる「技術の進化によって人間がアホになる」ということの一つの原因だと思う。

だから、もし「考えること」を止めたくないのであれば、自分が手に入れた疑問を、あたかも珍しい宝石を拾ったかのように大切にし、いつでも見られるような形でためておくことが必要だと思う。
それを続けていくことで、疑問を見つける力は研ぎ澄まされ、その人の知的生産能力も長きに渡って向上させていくことができるのではないだろうか。